特別企画
詩人・立花潮について
文責 ヤマケイ
詩「辺獄に花立つ」全編
あゝ その気高くも
みずみずしき姿よ
人はいつかお前の
お前のやうに生きたいと
つひぞ願ひながらも
その姿を仰ぎ見たまま
汚れた水に沈むのだ
(Kyrie eleison, Christe eleison, Kyrie eleison) ※1
(羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提娑婆訶) ※2
赤い河のほとり
辺獄の水辺に
たたずむ花があるといふ
ぬかるみの泥濘に根を張り
汚泥の露に身を汚し
逆立つた脳のやうに
花びらを燃やして
ただ天を仰ぐやうに
咲いてゐるといふ
不浄の中にあつてなほ
白い白いその世界で
どんなにか自由に
咲き誇れるだらう
泥濘に根を下ろした心は
心だけは ただ 自由に
辺獄に 花と立つのだ
あはれなる 孤高の主よ
それでも 人はいつか貴方の
貴方のやうになりたいと
切なる願ひを抱き
胸を詰まらせ子供のやうに
泣いてゐるのだ
ミュージカル「辺獄に花立つ」制作メモ➊
立花潮詩集「辺獄に花立つ」より、同タイトルの詩の全編を公開する。発表年不明。詩集の編纂者も不明とされているが、全国で販売されるような装丁の本ではなく、手製の私家版であったという。この詩集を発表後、立花潮は突如として歴史の表舞台から姿を消しており、現在に至るまでその消息は不明。この詩が書かれた時期や背景、彼の思いも不明である。
この詩に宗教的なフレーズが組み込まれていることから、クリスチャンであったという説や、仏門に帰依したという説、あるいは周りに宗教関係者がいたという説もあるが、研究者が少ないこともあり想像の域を出ない。
本ミュージカルは主にこの詩を元に、評伝劇として彼の人生を再構成した。
※1 カトリック祈祷文「主よ 憐れみたまえ / キリスト 憐れみたまえ / 主よ 憐れみたまえ
※2 般若心経「往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸にまったく往ける者よ、幸あれ」
立花潮の寫眞
唯一現存する立花潮氏の写真。
関東大震災により一部焼失している。右が立花潮氏であるとされる。左は細君と思われるが、姉(氏名不詳)という説もある。
ミュージカル「辺獄に花立つ」制作メモ➋
立花潮氏は人嫌いであったのか、写真はほぼ残っていない。この写真は帝國文學所蔵のものだが、担当編集者やこの写真が持ち込まれた経緯は不明。夫妻と記されているものの、姉弟の可能性もあるという。(他者との交流が少ななかったとすれば、姉弟説も有力であると考えられる)
編集部内にも、彼の人となりを知る人はほぼいなかったとされる。
立花ミヨ?
少女の後ろ姿が写されている。
この写真が誰であるかハッキリとした記録は残っていないが、親戚の子ではないかとされている。
ミュージカル「辺獄に花立つ」制作メモ❸
立花潮氏の家族構成には謎が多い。ミヨという妹を大切にしていたともされるが、彼に妹はいなかったということが数少ない証言から分かっているようだ。いたのか、いなかったのか、判然としない妹。その姿はまるで幻か、蜃気楼のようである。
文机に残された情景
立花潮氏の失踪後、書斎の机上にて撮影されたもの。
ミュージカル「辺獄に花立つ」制作メモ❹
立花潮氏は、ある日ぷっつりとその姿を消した。その際、文机に残されていたというのがこの寫眞である。本の一頁であるのか、絵を置いていたのかは判然としないが、仄暗さと明るさの混じったこの絵が、氏に何かしらのインスピレーションを与えていたことは確かであろう。まるで三途の川のようにも見えてくる(この絵の作者が誰であるかも不明である)。彼の私物はほとんど残っていないため、これはその貴重な一葉といえる。